会報「CS支援」第23号 (2005.2.28)


「あいあい姫之湯」でひと月がたち…
  (発症者)

 

 「あいあい姫之湯」に12月からご入居中の発症者の方に、手記をお寄せいただきました。

 2004年12月11日、両親に連れ添ってもらい「あいあい姫之湯」へ入居しました。とても寒い日でした。施設を案内されている間にも、周辺にあるヒノキのツンとした香りに眼球が反応して、針を刺されたような鋭い痛さが続き、片目をつぶりながらおぼろ気に施設の説明を聞いていました。体もそのヒノキの香りでチクチクかゆく、顔が青ざめてきたので、心の中で「ここもだめかな…」と不安が募っていきました。
 入居のひと月前に見学に来た時点で、周辺のスギとヒノキに反応してしまい全身のあらゆる神経がビンビン走り回り、怖く、入居を迷っていました。でも家にいる訳にはいかないし、旭川(化学物質過敏症一時転地住宅)だと、2月の自然農法大学校の受験のために飛行機で大移動しなければならない、大移動したらそれこそ体調を崩して受験どころではなくなってしまう。ものすごく迷った末、「昨年、旭川での2ヶ月で確実に良くなった。それに今反応しているのは最悪な環境にずっといたからであって、今回もしばらくがまんすれば絶対良くなる! 今度は一歩進んで、自立のためにアパート形式の中伊豆に入って全部自分でやってみよう」と中伊豆行きを決心しました。

環境が良ければ改善すると確信した「旭川」
 私は幼い頃から様々な体調不良を訴えつつ、原因が分からないまま徐々にCS(化学物質過敏症)を発症していきました。北里研究所病院の検査ではっきりしたのは1年半前です。ある時、周辺の農薬や除草剤の大量散布、室内のシロアリ駆除剤、衣類の防虫剤、新しい畳の防虫剤、ステロイド薬などが重なってしまい一気に悪化し、苦しくて自宅にいられなくなりました。
 緊急避難的に行った「旭川」で2ヶ月間お世話になりました。以前この会報に寄せた手記でも書いたのですが、「旭川」の澄んだ空気はもちろん、晴れの日も雪の降る日も毎日スキーでたくさん汗を出したり、考えられる様々な改善方法をそこでじっくり教わり実行して、短期間で体調を回復させました。30年苦しみ続けてきた重症なアトピーが、「すべすべの肌」に再生したことが一番の喜びでした。そして元気に自宅に戻ったのです。     
 両親は私の肌の回復振りを見て「化学物質が原因だった」と、やっとやっと、理解できました。以前は全身のかゆみ、痛み、足の痙攣や、吐き気、頭痛、倦怠感、口内炎、臓器機能悪化、あらゆる症状が立て続けに出て、ものすごく辛いことを両親に訴えても「薬をつけなさい! 飲みなさい!」で、口論ばかりしていました。いつまでも分かってもらえなくて情けなくなっていました。症状が目に見える「肌」にでていて助かりました。家族に分かって貰うことがいかに難しいか…実感しました。
 しかし、スベスベの肌も旭川から帰宅した日まで。翌日は顔が赤くかゆくなっていてガッカリ…。食べ物でなく室内の空気に問題があることがはっきりしました。それからどんどんかゆみは増していき、手足、首の掻き傷がただれはじめ曲げられなくなってしまいました。そのうち周辺の田んぼ(お米の大産地)の農薬散布が本格的に始まり、土地探しで家を出て行く以外は、ずっと家に閉じこもり苦しみに耐える生活が続きました。外の農薬濃度が濃いのか、汚染物質が部屋中に染み込んでいるのか、高価な空気清浄機も効かず、脳がむき出しになったようにあらゆる神経が全身をビンビン走り回り、ものすごい症状の連続でした。まるで殺虫剤を吹きかけられ、もがき苦しむ虫になったような日々でした。それから水道水中の塩素が、特に濃い地域のためか、お風呂に浄水器を取り付けても、お金をかけて様々なことを試しても、入浴後は脳のビリビリ感、全身の関節の痛み、皮膚の痛みでどうにかなりそうでした。

車中泊しながらの土地探し
 「もう家にはいられない」と分かっていたので、そんな体調のなか数日分の食料と寝袋を車に積み込み安全な土地を探し回っていました。寒くて震えながら車の中で過ごす夜や、農薬が車の中にまで入ってしまい、もがき苦しむことも幾度となくありました。あらゆる可能性を考え、あらゆるつてを辿って探し回りました。そして現地に行く度に、農薬と除草剤、植林の杉山、防虫剤を使っていた空き家などにガッカリして、無言で帰ることが1年近く続きました。行くところ行くところで農薬と除草剤を浴び続け、体は限界にきて動くことができなくなりました。
 空き家を訪ねに行った時、慣行農法の農家さん達が「出荷用に作った野菜は食べないよな! すごい農薬だよ。水で洗ったって中に農薬入ってるし」と笑って言い放った言葉が忘れられません。
 もう土地探しをする体力も気力もなくなり、横になっているか座っているかだけでした。何もできません。辛くて虫の息という感じで声もまともにでません。自分で食事も作れず、安全とは言えない食材で作った両親の食事を食べて、一日一日をしのいでいました。
 お風呂にしろ外出にしろ、普通の人なら普段何気ない動作なんでしょうが、私がやろうとする時は、様々なところから情報をかき集め一大決心でそれをやります(ほとんど自分に合わず動けなくなりますが…)。それを毎日毎日究極の選択をして命を延ばしているような感じです。歯科治療も例外ではありせん。「こんな時にどうして神経の治療なの…」。でもどうしても治療しなければならず、CSにも対応してくださる歯科医院を紹介して頂き、決死の遠距離通院をしました。先生には大変ご親切にして頂いたのですが、治療途中、ものすごい症状が出てしまい耐えられず、続けて2本抜くことになりました。「ごめんね、ごめんね…」と太いペンチで引き抜かれている間じゅう自分の歯に謝っていました。CSでなければ数十年使えたかもしれない大切な歯だったんです。もう疲れ果て、身も心もぼろぼろでした。
 ただ唯一…、飼っている小鳥たちの愛らしい姿が私の心を救ってくれていました。

伊豆へ行くことになったきっかけ
 一旦「旭川」に避難しなければ駄目になってしまう。駄目ってどうなることなんだろう…とただ、もうろうとした意識で考えるだけで、体は動いていませんでした。
 そのうち稲刈りの時期になり、自宅周辺の農薬濃度が薄れてくる時がやってきました。少し体が楽になってきました。たまたま訪ねた先の知人が「伊豆の山奥に自然農法の広い農場がある。あそこなら農薬はこないだろうな…」と何気無しに言うのですが、私は聞き逃しません。「そこだぁあーっ!」と私は直感しました。伊豆なら「あいあい姫之湯」があるっ。あそこで体力を回復させて、その農場で働こう。さっそく自然農法のお米を頂いている山形の農家さんに、自分の思いのすべてを手紙に託し、そこで研修か仕事がないか聞いてみました。そして思い(熱意?)は届き、春から研修があるから見学に来るよう、その伊豆の農場から連絡がありました。自分の今の体力では、働けるまでには数年かかるだろうから、その伊豆の農場(大仁農場・自然農法大学校)での2年の研修もいい期間と考え、あの時頂いたお電話は本当に嬉しかったです(丁度、超大型台風がその農場の上を通過している時のお電話でした。忘れられない日です)。幸いなことに、有機農業や安全な食品に興味があること、自宅近くの自然農法の畑で手伝いをしたり、そこで収穫した野菜を車に載せ東京に引き売りについて行った体験、そこでのお客さんとの会話が大変楽しかったこと、10年間農業関係の職場で働いていたこと(アトピーがひどく全身包帯を巻いて往復4時間の通勤をしていた頃もありました)、もともと自然の中で体を動かすことが好き、などなど、大自然の摂理を大切にした「自然農法」に惹かれる条件がたくさんあったため、4月からの研修がとても楽しみになっていきました。そう考えるうちに、「あいあい姫の湯」で絶対良くなるぞ!と自信がついてきました。
 地図でみるとその農場は両脇ゴルフ場で挟まれていました…。「数ヶ月後にはそれくらい大丈夫になっている」と思い込ませました。それから「2月の入学試験も頑張らなくてはいけない。あそこの農場ならばCSのことをよく説明すれば分かってくれると思う。駄目ならその時考える。今は一筋の希望の光を信じよう」。内心ではいろいろな思いがめぐっていました。

入居寸前に最悪な状態へ
 と、運が向いてきたかと思っていたのもつかの間、今度は隣の県(野菜の大産地)の秋撒きの農薬が漂ってきて、体がおかしくなってしまいました。またか…入居の準備をしなくてはいけないのに…農薬の時期が過ぎれば体調は少し回復する…と思えた気持ちも薄れていき、どんどん駄目になっていきました。
 入居2週間前には「私…まだ死にたくないけどこのまま寝たきりになって死んじゃうのかな…死ぬってことがどうなるのかも分からないよ」とかぼそい声で体の限界を伝え両親を困らせていました。呼吸はまともにできず、カラカラに乾いてしまう眼球、ただれたまぶた、掻きこして動かせない首や手足、夢までも息を止めて眠るように死んでいく、自分の姿を見てしまうくらい、どうにもならない状態でした。

やっとたどりついた「あいあい姫之湯」
 そんな状況が続くなか、やっとの思いで入居準備をし、「あいあい姫の湯」へ両親に付き添われて何とかたどり着きました。そこでまず驚いたのは建物です。見学には来ていたけれど、あの時はガラス張りの印象が強く、オリに入れられた動物を連想していたのですが、今回は違っていました。部屋に入ると心が落ち着くような真っ白な漆喰と木目の素敵な雰囲気、それから自前の綿のカーテン(シーツ)と部屋の明かりがシックな感じをかもし出し、自由に呼吸が出来る空間でした。四六時中していた大きな特殊マスクも安心して外せました。その部屋の内装や器具を見れば見るほど、「これを建てるには相当なご苦労があったんだろうな…」と感じさせるくらいCS用に出来ていました。
 そんな素晴らしい建物に入れた喜びもつかの間、最悪なことに、寒さと疲れから風邪をひいてしまい、入居当日の夜から下痢と嘔吐を一晩中繰り返し、繰り返し、もがき苦しみました。両親は近くの旅館に泊まりに出てしまい(同じ夜、母も下痢と嘔吐でヘトヘトだったそうです)、その夜は事務局の広田さんが付き添ってくださっていたので、病院へは行かず(入れない)、部屋で耐えていました。広田さんがいてくれて本当に助かりました。しばらく動けないため、数日両親に付き添ってもらい、少し回復した頃、両親は埼玉の自宅へ帰って行きました。
 それから、ふらふらしつつも少しずつ回復に向かい、入れなかった施設内の温泉にも入り、自炊をし始め、散歩をし、環境に慣れるよう努めました。それでも周辺のスギとヒノキは気のせいではなく、確実に反応していたので、どうしたものか考えてしまいました。顔はボソボソ乾燥し、温泉に入ると余計ボソボソになって、唇の両端が深く割れ、顔面が動かなくなって悲しくなりました。温泉のお湯が合わないのか、入浴すると傷口が痒かったりぴりぴりしていました。でも塩素が入っていないので喜ぶべきことでもありました。なにしろ自宅も、あちこち行った温泉も、塩素で泣いて入浴が恐怖になっていたから…。
 顔面がボソボソして動かないというのがものすごくショックで、スギ・ヒノキなのか温泉なのか原因が分からず、「ここは家賃も高いし、良くならないなら「旭川」に行くしかないかな…」と迷っていました。そんななか、心配して電話をしてくれる事務局の方々が私を勇気づけてくれました。がまんしてここにいよう。

中伊豆の自然に惹かれて元気に
 2週間が過ぎた頃から気にしていたガサガサ肌の面積も減っていき、回復の兆しが見え始めてきました。毎朝の「じっくりヨガ」も全身の関節や筋肉・血流、精神集中に大変良く効き、体がかなり軽く感じていきました。気持ちもすっきりします。「旭川でも徐々に良くなっていた。ものすごく痛めつけてきた体だもの、すぐに良くなるわけないよね。徐々に徐々に…」と毎日自分に言い聞かせながら山道を歩いていました。
 そのうち散策にも余裕が出てきて、あちこちの自然の良さに気づき始めました。
 「野鳥がたくさんいる! 小さくておなかぷっくり、かわいい〜(双眼鏡買わなくちゃ)。冬なのに可愛らしい草がたくさん生えている!(押し花にして飾ろう) おっ、大好きなコケがいっぱいだ! えー富士山が近いよっ! 星が近いよっ、きらきら輝いてる。湧き水っ。わさび沢があるぅ〜。芽吹きの季節は最高だろうな。あぁ、こりゃ春が楽しみだ…散策が楽しくて楽しくてどんどん歩いて回るようになりました。地元の方も温かい人柄で道すがらの挨拶も自然体に「おはようございます。こんにちは。どうも!」。そこから会話に発展していくこともしばしば。夜のおかずにと魚一尾を買うため山道(いろいろなコースがある)をてくてく。家族や友達に手紙を出すのに山道をてくてく。近くの姫湯神社さんに日ごろの感謝とたくさんのお願いをしにてくてく。毎日毎日、てくてく、てくてく…です(注:魚や郵便などは患者さんに負担のない体制が組まれる予定です。私はわざわざ山道を楽しんいるだけです)。交番のおまわりさんは山の上に住むということで心配してくださり「たまに遊びにおいで」と声をかけてくれ、山道の道中、しいたけ栽培(もちろん無農薬)のおじいさんからは、笑顔で採れたてのしいたけを分けてくださいました。それから「あいあい姫之湯」の患者さんの体の負担を少なくするために、様々な体制を真剣に考えてくれているお店があったり…。本人がCSでないのにここまで考えられるって、すごいっと私は思ってしまいます。
 元気になられたCSのご近所さんと、玄関に飾るリースの材料を散策途中に探してきて、陽のあたる縁側であれこれ考えながら作ったこともありました。笑いながら山道を下りて買い物をしたり、料理を教わったりも。片山建設の社長さん(ここを建てた会社。CS支援センター理事)が、奥様が焼くとってもおいしいパンを届けてくださって、中伊豆のお話をしてくれたり、とても充実した生活をしています。

気にしていたスギ・ヒノキも反応しなくなり
 あれほど気にしていたスギとヒノキにはいつのまにか反応しなくなっていました。厚着をして、本格的に汗をかきはじめてから肌もどんどんすべすべに、体調もさらに良くなっていきました。「やっぱり、しばらくがまんすれば良くなるんだ! 退去しなくて良かった」と再確認しました。
 入居してひと月も経たないうちに、足の筋肉がしまり、山道を楽々歩くことができ、近くのお店ではマスクなしでしばらく立ち話ができるようにもなりました。大きな特殊マスクをして、店内に危険なものは置いてないか、挙動不振のようにうろうろ見回していた頃の私とは大違いです。
 山道を歩いていると「こんなに晴れ晴れとした気持ちは今まで感じたことがあるかな?」と思えるくらい頭がすっきり体が軽い感じで、森から漂ってくる新鮮な空気と自分の体が一体となっていくような感覚です。「これが普通なのかな?すごいな。普通の人はいいなぁ、いつもこうならいろんな事ができるんじゃない?」と羨ましく思えてしまいます。
 先日、健康診断を受けたら(病院に入れた!)腎機能が正常値近くにあがっていたので期待どおりでした。アトピーと同じ世代の人に増えているタイプ(アレルギーと併発が多い)の原因不明の腎炎だったのですが、あくまでもそれは一般病院の診断で、私は内心「原因は化学物質だな」とにらんでいました。アトピーが良くなっているなら、免疫系の腎炎も良くなるだろうと期待していました。原因不明で納得がいかない患者さんが周りにたくさんいらっしゃるので、今後腎炎の方にも良いお知らせが出来たらと思っています。
 それから、ここで日常気をつけていることは、ご苦労されて建てられた建物を、化学物質で汚さないよう、次に入られる患者さんが反応しないよう、部屋に入れるものはすべて水拭きをして、極力部屋に物を置かないようにしています。今まで自宅で着ていた防虫剤やドライクリーニング剤などが付着していそうな、少しでも怪しい服は泣く泣く処分し、新しい服や布団を購入、洗って持ち込みました。使用していた物でも、大丈夫そうなら特別なクリーニングに出してから持ち込みました。今回は昨年の「旭川」での教訓や学びが様々な面で生かされています。体調が良くなれば良くなるほど化学物質に鈍感になっていくので、あえて気をつけなければいけないと思う日々です。
 そして、食事をする時は自分が食べている、貴重な食材に思いを馳せながら頂いています。「この人はどうして有機の野菜を作るようになったんだろう。何がそうさせたんだろう…。天然の色は控えめでキレイな色だなぁ。ダシから取ると、うまみが体に染み渡るようだぁ〜。ああ…本物は味わい深いなぁ…、う〜んうまいっ!」「お父さん、無農薬で野菜作ってくれてありがとう!」

健康に生きるヒントがここにある
 「あいあい姫之湯」はほとんど例のない手探りからのスタートで、施設も周辺の環境も、野焼きや農薬、水道水など課題は数多くありますが、他と比べて、環境が良いところとして選ばれています。化学物質によく配慮した住居がここに出来た。次は…。
 ここでたくさんの患者さんが生活してみて「患者側から気づいた点」を、中伊豆の片山建設さんを中心に支援してくださっている地元の方々と、あれこれ率直に意見を出し合って、解決策をじっくり練り上げ、実行し、自分を含め皆の構想でもある「脱化学物質コミュニティー」を軌道に乗せることではないでしょうか。ここは可能性を秘めているなと暮らしてみて感じました。日本のどこかにそのような地域ができることを皆さん1人1人が望んでいるし…。
 そして、日常生活に入りこんでいる様々な化学物質によってCSに限らず多くの病気が発症していること、生態系が狂いすでに影響がでていること、そして地球上の生物が本来の生き方、健康的に生きていけるヒントがここにあると、いつか中伊豆から発信できるようになったら素敵ですね。
 私はここで元気に生活していますが、見えないところでたくさんの方々にお世話になっています。自分一人では何も出来ないどうしようもない体だったのに、ここまで回復できたのは様々な立場にいらっしゃる方々の温かいご支援・ご協力があったからこそです。心から感謝しています。本当に有難うございます。これからも、環境が良ければ回復することを信じ、あのつらく苦しく、そして悲しかった日々に、もう戻らぬよう、自分が進むべき道を探し続け頑張ります。これからもどうぞよろしくお願いします。

CS支援センターから:この筆者の方は無事、大仁農場・自然農法大学校に合格され、4月から通われることになりました。

 

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