会報第2号(2001.8.15)

化学物質の因果関係を問いながら一歩を
    横田 克巳 (CS支援センター理事長)   =会報第2号(2001.8.15)
   人間同士が闘った戦争の世紀が終わって、人類は自らが生み出した化学物質に阻害され、これと闘わなければならない新世紀に踏み込んだ。地球の生態系を持続可能にしようとする多様な試行錯誤は繰り返されているが、体系や秩序が崩壊していく過程に対し法則性を見いだし、対策するのは極めて困難である。それは、生態系のコアに在る人間自体が破壊し続けてきた生存環境を整えようとする前に、人間自体が変質してしまう可能性が高い点にある。
 物事を創出する個々の事象は、偶然が手伝うとはいえ、一定の法則性と手順に基づいて制御されているのが普通である。しかし、いまや無数としか言いようのない「化学物質」の放散は、個々の制御が困難なだけでなく、複合されて、生態系に対し反応する諸現象をとらえようもない。明らかにこの因果関係をとらえようとする科学は、後追いで役に立たないかもしれない。
 にもかかわらずなぜ、化学物質は、日々多量に生産し続けられるのだろうか。その生産のあり方に制限や禁止をもって政治的制御ができないのはなぜだろうか。化学物質が生産され、商品として流通・消費・廃棄される過程で及ぼす自然環境と人体への因果関係を把握するとすれば膨大な時間とコストを要する。更にその困難に対して政策を通して政治的に解決しようとすれば、世界の軟弱な政治秩序では途方もなく困難だけが目立つ。それでも化学物質を「生産し商品化する自由」の保全が重要かつ不可欠なテーマなのだろうか。見えてきた宇宙船地球号の未来にとって否である。
 いま、化学物質過敏症を発症した人々やその潜在的予備者である大勢の生活者・市民は、「水俣病」の経験すら生かされていない現状に、抜本的解決策など期待しようもないのである。蓄積された化学物質が一定レベルを超えてあふれ出すと、過敏症が発症するという点で誰しもが逃れられない。人間は本来、自己の生体に不適合な諸条件と闘いながら自生するのだが、適合しない社会・経済システムや政治システムと闘うことを不得手としてきている。この問題解決システムの「構造改革」を急がなければならないのである。
 とりわけ日本では「脱亜入欧」以来100年、科学技術の進歩を産業資本家とその代理人たちが占有し、社会福祉を軽視して今日に至っている。地球温暖化や人口爆発、資源・食糧の偏りなどの度し難いテーマもさることながら、遺伝子組み替えをはじめ化学物質の放置は、人間個体への直接・間接を問わない支配的大衆操作の放認であり、人間の尊厳を軽視して止まない政治の未熟さを意味している。動き出したばかりの弱小な支援センターだが、志を高く持って、心ある人々の合力をつくる用具として一歩を踏み出せれば幸甚である。

共同研究者のごあいさつ
 

■東京大学大学院 新領域創成科学研究科環境学専攻教授  柳沢 幸雄さん

 はじめの一歩 
 どんなゲームだったか忘れてしまったが、子供の頃「はじめのイーッポ」とかけ声を掛けて一歩ジャンプしてから始める遊びに夢中になっていた記憶がある。
 一時転地住宅の完成は、まさにその「はじめの一歩」である。化学物質過敏症問題解決への道程の中で歴史に残る第一歩である。一歩の意味を考えてみよう。
 同じ一歩でもゼロから1への一歩と、1から2への一歩には大きな違いがある。割り算、1÷0と2÷1の答えをくらべてみれば違いがよくわかる。2÷1の答えは2だが、1÷0の答えは無限大である。ゼロから1、つまりはじめの一歩には無限大の価値を生み出す可能性がある。それと同時に事前に想定することの出来ない未知なる問題の山に遭遇するに違いない。私たちはゼロからの第一歩を担う幸運と栄誉に恵まれた。未知なる問題の一つ一つを丹念に、忍耐強く解きほぐして行こうではないか。
 旭川に続く、すなわち1から2への一歩をより実りある、より軽快なものにするために私たちに課せられた責任は大きい。

 

 

 

>>このページのトップへ